『ジェンダー・フリー』論争とフェミニズム運動の失われた10年

山口智美さんがご自身のブログhttp://diary.jp.aol.com/mywny3frv/214.html で紹介されているように、『バックラッシュ!』サイト、本日のエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060529で、山口さんの『バックラッシュ!』本掲載論文のさわりを紹介している。


山口智美「『ジェンダー・フリー』論争とフェミニズム運動の失われた10年」だ。なんと刺激的なタイトルよ! きっとこの本が出たらフェミニズム運動の10年について、議論が沸騰するのではないか、と思う。それほど刺激的な内容だ。「ある意味、この本で最も重要な論文かもしれません。」と紹介されているのに同感だ。(草稿を読ませてもらっているから確信がある)
あ、このバックラッシュキャンペーンサイトでは、山口智美さんと私が共同運営するサイトジェンダーフリー概念からみえてくる女性学・行政・女性運動サイトも紹介してありました。http://homepage.mac.com/saitohmasami/gender_colloquium/Personal22.html
ずっと、女性学、行政、女性運動の関係をしつこく迫ってきたが、これで多くの方にこの問題に関心を持って頂けるとしたらとてもうれしいことだ。


フェミニズム運動は明らかに1990年代に変質したと思う。それがどうしてか、どうなったのか、ということの核心を衝いていると思う。また、山口智美さんが経験した運動への関わりから入っているので読みやすい。女性運動、フェミニズムに関心のある人の必読論文である。ぜひお読み頂きたい。


1990年代以降、とりわけ北京会議以降運動に参加した人たちは、すでに女性学者が行政と組んだ男女共同参画運動の最中に自動的に入ることになっている。フェミニズム運動に入るということが最初から、行政との関係を冷静に考えることができない状態に入るということになっているのだ。


え、どういうこと?って思う人も多いだろうが、1990年代以降の女性運動と行政の蜜月関係は、デフォルトすぎて意識されることも少ない。そういった事情をひもといてくれる論考である。


右派の方たちは、行政とフェミニズムを「ジェンダーフリー」擁護派、「男女共同参画」運動としていっしょくたに批判しているが、おっとどっこいそんな単純なものではないってことをも明らかにしている。



フェミニズム運動に関わる人たち、特に新しく参加した人たちに、今のフェミニズムがどうなっているのか。フェミニズム運動の流れを振り返る機会となる。また、今運動に関わることになれば避けることができない行政との関わりについても考えさせてくれるものだ。以下、紹介文から引用する。

1995年前後は、日本の女性運動にとって、重要な転換点だった。 1994年、男女共同参画審議会が作られたことで、耳慣れない「男女共同参画」という言葉が登場し、1995年には、同審議会による「男女共同参画ビジョン」と「男女共同参画2000年プラン」の中で「ジェンダー」という言葉が登場した。そして、「ジェンダー・フリー」という言葉も東京女性財団 によって紹介された。同年の北京の世界女性会議以降、「エンパワーメント」というカタカナ言葉が流行る一方、「ジェンダー」という言葉も新聞などでちらほら見かけるようになっていた。
 その一方で、この時期、「フェミニズムは終った」「ポストフェミニズム」といったような記事もよく見かけた。 当時アメリカ・ミシガン大学の大学院生だった私は、1996年の6月から、約3年にわたった東京での日本の女性運動のフィールド調査を始めたところだった。 ちなみに、私が博論テーマとして選んだのは、1996年の年末に解散した「行動する女たちの会」だった。解散すると聞いて、何となく事務所の「ジョキ」を訪れて、会員の方々と話したり、引っ越しのための掃除作業をしたり、宴会に出たりしているうちに、研究テーマに自然になってしまった感じだった。そして、 会の解散をメディアは、「フェミニズム断絶の時代」のシンボルとして扱った。 同じ時期に、家庭科の男女共修をすすめる会、日本婦人問題懇話会なども解散直前の状態にあり、両団体とも間もなく解散した。

この、「フェミニズムは終った」言説から「男女共同参画」「ジェンダー・フリー」の登場、そして「過激なフェミニズム」としてフェミニズムが攻撃されるバックラッシュへと推移した、90年代中盤からのフェミニズム運動をめぐる状況を追ってみたい。