エンパワメント論議と男女共同参画政策

id:appuappuさんのところで「エンパワメント」論議でコメントを書いた。http://d.hatena.ne.jp/appuappu/20060906/1157472971

上でのジェンダーエンパワメント指数における「エンパワメント」の定義(「エンパワーメント:力をつけること⇒自ら意識と能力を高め、政治的・経済的・社会的・文化的に力を持つ存在になること」)は政府寄りで私の理解とは違っています。エンパワメント(empowerment)は、権力移譲(パワー、権限を与える)という意味で、女性が権力を奪取することだと思います。GEMは、実際どれだけ女性が社会の中で権力を移譲しているか(政治的・経済的力を得ているか)の指数です。それを「女性が力をつけること」なあんていう誤訳をつけたのは「市民を意識啓発」するのが行政の役割と任じている行政です。それをそのまま引き写しているサイトが多いのは残念です。

続きをこちらで書こう。あっぷあっぷさんは、障害者のところで使われている「エンパワメント」と女性のところで使われている「エンパワメント」が異なるとおっしゃっているのだが、そうではないと思う。要は障害者の場合も女性の場合も、エンパワメントの意味は変わらないにもかかわらず、女性のエンパワメントの意味が政治的に曲げて使われていることが問題だと思われてならない。


「障害者」のところに「女性」を入れてみる。「社会的な抑圧のもとで、人間としての生き方が保障されてこなかった女性自身に力をつけて自己決定を可能とし、自分自身の人生の主人公になれるようにという観点から、あらゆる社会資源を再検討し、条件整備を行っていこうとするのがエンパワメントという考え方であり、手法である。」これでいいのではないか。http://d.hatena.ne.jp/appuappu/20060820/1156050086で書かれていたように、「従来のさまざまな考え方の枠組みが、障害者の「能力」や「権限」を訓練や指導によって後から付加されるものとみなしてきたのに対して、エンパワメントという考え方のもとでは、「障害者には本来ひとりの人間として高い能力が備わっているのであり、問題は社会的に抑圧されていたそれをどのように引き出して開花させるかにある」と考えるのである。」という点は、障害者問題においても、女性差別問題においても、政府が取り組む方向としては変わらないはずである。「あらゆる社会資源を再検討し、条件整備を行っていこうとする」ということは共通だろう。


しかし、以下の説明をみると、政府はそうは考えていないようだ。そこに問題はある。(あっぷあっぷさんが誤解されるのも、政府の説明がそうだからなあ・・)http://www8.cao.go.jp/whitepaper/danjyo/plan2000/h10/p1c101.html

HDI人間開発指数(Human Development Index)
GDI口ジェンダー(注)開発指数(Gender-Related Development Index)
GEM口ジェンダー・エンパワーメント(注)測定(Gender Empowerment Measure)女性が積極的に経済界や政治生活に参加し、意思決定に参加できるかどうかを測るもの。HDI,GDIが能力の拡大に焦点を当てているのに対して、GEMは、そのような能力を活用し、人生のあらゆる機会を活用できるかどうかに焦点を当てている。具体的には、女性の稼動所得割合、専門職・技術職・管理職に占める女性の割合、国会議員に占める女性の割合を用いて算出している。
(注)「エンパワーメント」とは「力をつけること」の意。具体的には、自ら意識と能力を高め、政治的、経済的、社会的及び文化的に力をもった存在となることを意味している。

ここでは、(注)「エンパワーメント」がおかしい、わざわざヘンな意味を付け加えている。「自ら意識と能力を高め・・力をもった存在となること」だと・・。ここでは、障害者のところで説明があったように、「本来ひとりの人間として高い能力が備わっているのであり、問題は社会的に抑圧されていたそれをどのように引き出して開花させるかにある」という考え方がすぽんと抜け落ちている。


http://danjo.city.kashiwa.chiba.jp/gakushuu/gender_terms/terms/gem.htmをみても、GDIが高いにもかかわらず、GEM口ジェンダー・エンパワーメント(注)測定が低いのはなぜなのか。どうしてGEMを挙げなければならないのか。どうしたらGEMが上がるのか、といった現状分析とその対策については触れられていない。これではなぜこれらの指標を持ち出す理由がわからない。


http://wings-kyoto.jp/06publish/backno/vol-07.html
ここも同様だ。「男女が共に様々な分野でチャンスを生かし活躍することは、より豊かな社会へとつながっていくのではないでしょうか」とあるが、どういった対策をとるのかを書いていない。現状分析と対策が欠けている。女性は自分で「力をつける」のがエンパワーメントだという論理が見え隠れする。行政がこのように自助努力を推奨するのはやはり問題があると思う。


何のための「男女平等(男女共同参画)」政策なのか、わからなくなってしまう。そんなだから、「婦人防火クラブの結成を推進」というのが出てくるのだろう。男女共同参画政策についての見直しが必要なのは、「あらゆる社会資源を再検討し、条件整備を行っていこうとするのがエンパワメントという考え方」で取り組んでいるかどうか、ではないだろうか。しかし、日本広しと言えども、そういったスタンスで男女共同参画に取り組んでいる自治体はどこかにあるのだろうか。


しかし、マスコミは「紀子さま男児ご出産」で盛り上げようとしていますね。テレビはどこも特番体制を組んでいる。これって少子化対策って気分も入っているんだろうか?「やっぱり男じゃないと〜」という気分や、「男児を産んだ母はあっぱれ」などという風潮にならないようにガチガチ書いていきたい。