米騒動 女たちの世直し再燃期待  斉藤正美

 県外に出ると、「米騒動の富山だから女性はさぞかし元気でしょうね」とよく言われる。しかし、「女一揆」で間接的に内閣を倒すという大それたことをしでかした「富山女」と、女性議員の進出で後れをとり、「お上」や「男社会」に楯突かない富山女のミスマッチ。えーい、どっちが本当なのだろうか。


 この謎を解く本に出会った。マイケル・ルイス『辺境になって―富山における国家権力と地域の政治1868-1945』(ハーバード大学出版局、未邦訳)は、近年蓄積された社会史や社会理論の成果を取り入れて書かれた斬新な富山県史だ。


 明治以降、近代産業国家形成のために鉄道など産業資本を太平洋側に集積し、米、わら製品、生糸などの生産と流通の要の港を擁し栄えていた富山を「裏日本化(辺境)」する国家政府。こうした中央集権的な産業化政策に対抗する必然性から、抵抗運動が盛んだったというのだ。さらに、米騒動については、米をジョーキ船に売ってボロ儲けする地元有力者の不正義に異議申し立てをする「女性たちによる政治運動」という新たな解釈をしている。


 これまでは、「鍋割月」や「空の米びつ」という言葉と共に語られた結果、「女と台所」が直結し「主婦の哀願運動」であり、政治的方向性のない暴動ととらえられてきた。「女の運動」だから理念も何もないはず、という女性を見下した発想が見え隠れする。
 

 しかし、ルイスが指摘するように、米の県外積み出しを阻止すれば、米の値段が下がるはずと考えた女たちの運動は、米商人の金儲けより地域全体の幸福を優先させようとする点で、公正な政治をめざす世直しだ。出稼ぎによる男手不足から、陸仲仕(おかなかせ)などの賃労働についた女たちは、男たちが仕切ってきた政治経済が弱い者イジメのしくみだと知り、堪忍袋の緒が切れたに違いない。


 21世紀の富山は、情報化や地方分権など、転換期を迎えているが、少子化や経済不況は極まる一方、政治の構造転換は一向に進まない。「もう男たちには任せておけない」と女たちの世直しの炎がふたたび富山から萌え出すのを見届けたい。

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 なお、これを書いた後、ルイスの書よりもっとすばらしい井本三夫編『北前の記憶』桂書房という聞き書きの歴史書を知った。著者の井本三夫氏にもお会いできた。この本は、米騒動についての記述も多いので参考にしていただきたい。「おかかたち」が一人で米2俵(約120kg)も担いで桟橋へと運ぶ仲仕という女性労働者であったことが詳細な聞き書きと写真により記されている。(昨日の映像にも、未確認だがこの本の中の写真が使われていたような気がした) この本については、改めて紹介したい。今日はとりあえずこれだけを記しておく。