[性]だれも書かなかった真実

 最近、わたしがフェミニズムに求めているのはこういうことだなぁ〜と思う本に2冊立て続けに出会った。『仕事とセックスの間』という玄田有史さんと斎藤珠里さんの書籍と中村うさぎさんの『わたしという病』。 まずは、『仕事とセックスの間』をみてみたい。
 『仕事とセックスの間』での玄田有史さんが発するメッセージ。

セックスはきわめて個人的なことがらではあるけれど、だからといって、すべてが個人の問題といえない面もある。どこか知らずしらず、自分も気づかないところで、何観社会のありようによって、個々人のセックスが左右されているかもしれない。

日本は世界的にも珍しいくらいに、セックスをしない国、セックスレス大国になっているようなのだ。

それを受けてフランスに住む斎藤珠里さんは日本とフランスのカップルと女性について調査結果と体験についてのべる。

既婚就業者のうち、セックスレスの状態にある割合は、45.2%に達していることになる。まさに日本では、2組にほぼ1組がセックスレスになっていることになる。それだけセックスレスが話題になるわけだ。
さらに驚くのは、セックスレスのうち、本当に文字通り「もうセックスをしていない」割合の高さだ。「スキンシップはあるが、もうセックスはしていない」は9.9%、「スキンシップもセックスもしていない」は13.1%と、あわせて23%は、パートナーとのあいだでまったくセックスをしていない状態にある。

夫婦間でセックスレスだという女性(全回答者の45%)に、結婚後、夫とのセックスで何か努力をしたことがあるかを尋ねてみると、「まったくしていない」が28%、「あまりしていない」が35%にも上り、あわせて6割以上がセックスレスを問題視していなかった。全回答者を対象に「セックスレスを理由に離婚するか」という問いかけにも、「それだけを理由には離婚しない」が53%、「スキンシップがあればい」が29%も占めた。つまり、性生活のあるなしは、夫婦にとってそれほど重要ではないという平均的な日本女性の意識が浮き彫りになったのである。

20代でも30代でも夫はセックスレスの解消を過半数が望んでいる一方、妻で解消を望む割合は4割にも満たず、夫婦間で大きなギャップが存在している。これらの事実からは、社会学者の上野千鶴子氏らによるセックスレスは女性の主導権によって起きているという主張も、確かにうなずける。

フランス第二の地方都市リヨンでチョコレート店を営む職人ルネも、61歳にして、「セックスあっての夫婦。それがうまくいかなければ仕事にも身が入らない」と言い切る。「もし、友達の誰かからセックスは1週間に1回もあるかないか、なんて聞かされたら、そいつの体調を真剣に心配しますよ」

日本ではセックスレスというと、長年夫婦でいれば飽きがくるのは当然といった理由がまかり通るが、「とんでもない。セックスはクラシック音楽の演奏に似ています。同じ曲だって毎回、練習するたびに新たな発見があります。何百回と繰り返し演奏することで、その曲の奥深さに魅せられ、さらに追求したくなります。セックスも相手を知り、開拓していくという行為なのです」と、諭されてしまった。
フランス人の多くが、パートナーの定義とは「知的レベル、性格、そして性的にも相性がいい人」という。

どうしてこうも違ってくるのだろうか。日本の女性たちがセックスから遠ざかるのはどうしてなんだろう。これだと日本の女たちは性的快楽の追求を期待していないのか、あきらめているのかという風に見えてしまう。・・・ほんとうは、どうなんだろう。

世の女性の真実を探すのがフェミニズムのしごと。斎藤珠理さんのされているしごとはフェミニズムにとってとても大事なものだと思う。斎藤さんのコラムはここでも読めます。次なる突っ込みが読みたい。