男性中心でジェンダーを議論することの限界について
わたしの前エントリーを読んださとうしゅういち氏がご自身のブログでいろいろ書かれている。あまり生産的な議論ではないので書く気が起きないのだが、あらぬところに話を持って行かれても困るので書かねばなるまいという気になった。さとう氏といえば、男性中心でジェンダーを議論することの限界で以下のように述べておられる。
弱者の視点に立ち、多様性を認めるもの。それが筋です。
それはそうなのですが、男性だけで、語ってしまうようなことは限界があると思います。
またまた、女性がいない。こういう構図が、ジェンダーやフェミニズムを論じる際に起きていることは、私はのぞむところではありません。
敵前逃亡というそしりを受けるかもしれない。macska様に置かれては、私がTKO負けした、と解釈していただいても構いません。
しかし、そのそしりを受けても、私は、しばらく、黙っておきたい。黙るというよりも、女性の方のご発言を待ちたいのです。
とくに女性の方のご意見を伺いたい。ほうっておくと男性中心の議論になるのは間違いないので、そこはご配慮ください。
私はコメントなしでUPする役に回りたいと思います。
というなら、わたしのブログ記事にも「多様性を認め」てほしいわー。「女性の方の発言」なのですが、「コメントなしでUPさせていただきます。」のはずじゃなかったのー? ところが、わたしの記事にはさとう氏、以下のように反論(弁解?)しきり・・。
これまでも,行政に勤める人間としてこういう問題意識でも私自身は取り組んたつもりです。
この方のいわれるような問題は,私自身もたびたび提起してきました。「えらい人」が「現場」を植民地化する構図に疑問を突きつける機会でもあると。
しかし,私が責められても困るのです。
と自分は悪くなかった、自分には責任はないという逃げのモードに終始している。わたしがさとう氏に触れたのは、「意図的に閉鎖的にするほど、立派な団体ではない」というように「ファイトバックの会を勝手に代表した挙げ句に当団体を貶めている」ということだけだ。同じことを「フェミニズムに紛れ込んでフェミニズムを代表したかのような発信をする」という言葉でも批判した。だれもさとう氏が行政の問題に言及していないとは言っていない。どうか話をすり替えないでいただきたい。
したがって,より多様な,女性のメンバーによる発言が必要,というわけです。
しかし、わたしの意見だって「より多様な、女性メンバーによる発言」でしょう?
男性の私から,あれこれ過度に申し上げるのも差し出がましい。
といいつつ、さとう氏は「現時点でのまとめメモ」で、朗々と「まとめ」をされている。「男性中心でジェンダーを議論することの限界」があるからコメントしないといっていたのはおとといだったというのに、、。あらら。
1、会が「閉鎖的に見えている」のではないか?というご批判。
2、女性センターなど非常勤職員使い捨てがはびこっている問題への掘り下げが足りないのでは?
3、1、2と絡み、本当に困っている人たちとつながっていないのでは?
という点に集約されるでしょう。2(女性センターなど非常勤職員使い捨てがはびこっている問題)に関しては、そうした問題は私の方が熟知している、これは別に私がえらいからではなく、私が現役の役人だからです。
この「まとめ」には、「男性中心で議論することの限界」も入るのでは??
さらに、この締めくくりには、突如、「内ゲバ」はやめようというのが出てくる。
「主要打撃」は,内部ではなく,たとえば行政の上でふんぞり返っている人,自民党・公明党の「えらい人」に向けるべきでしょう。
弱いものが「内ゲバ」をして,生活の声が政治に届かず,安倍晋三さんのような大ばか者が独裁を続けてよいのでしょうか?
今は議論ではなく「内ゲバ」になりかかっていると危惧します。
「内ゲバ」ってmacskaさんやわたしのこと?
安倍晋三さんがいまも独裁って、もう病院入っているから、違うんじゃないかと思うけど、それはおくとして、、。
さとう氏のなかでは、どうやらある意見は「多様性」や「多様な意見」となり、ある意見は「内ゲバ」に分類されるようだ。特に、「内ゲバ」というような「冷静ではない」言葉を使うのであれば、その基準をどこにおいているのか、だれにでもわかるようにお示しいただく必要があるのではないだろうか。
ついでに言いますと、わたしの議論へのリンクが「全米女性学会に参加してきます」というmacskaさんと山口智美さんとの アメリカ女性学会パネル参加の記事へとリンクされていましたよ、間違って。。そこまでチェックしてくださっているなら、山口智美さんのmacska dot orgエントリに端を発したファイトバックの会関連の議論についてもご覧になっているでしょう。それを「まとめ」で無視されているのはなぜですか。「ファイトバックの会の女性メンバー」の意見が多様だということは、さとう氏にとって見たくない現実なのでしょうか。
女性中心の運動グループに数少ない男性が混じった場合に「男性中心の議論」に流れないようにするのは意識していないと難しいと思っています。