富山県教委のおもんばかり
今朝の『北日本新聞』で富山県教委の人事が発表されていた。それでみると、新任の高等学校校長だけが顔写真入りで載っていた。それをみての感想がこれ。ろう学校・養護学校長だけ女性っていったい何? 写真では新任の県立学校長となっており、20人の新任校長の顔写真がならぶが、一番下の列1列だけが女性。しかも。それらの学校は、なぜか「富山ろう、高岡ろう、しらとり養護、にいかわ養護」の4校なのだ。どうして揃いも揃ってろう学校と養護学校の校長が女性なのだろうか。(ろう学校、養護学校が高校ではなく「特別支援校」だから一番下におかれるのか)また、どうして、それ以外の高校長が全員男性なのだろうか。どっちも異常なことのように思える。あたかも人の適性や能力、経験が性別で二分されるかのようだ。養護系に男性も入っていいと思うし、農業高校、普通高校、商業高校、盲学校など他の学校長に女性が配置されていいと思う。どうしてこのように女性は養護系(「特別支援校」枠)にはめられるのか。他の県に女性は養護系と決まっているところはあるんだろうか。
もちろん、今年の新任がこのように分かれるのであって、女性の校長がろう・養護学校以外にまったく県立高校にいらっしゃらないというのではない。現在はどうか調べてはいないが、過去に新任校長はおられたことを知っている。しかしながら、新任校長をこのように性別によって配置先がわかれるというのはあまりにヘンだ。『北日本新聞』では、1列4名で並び5列ある顔写真の一番下だけ4名が女性の配置である。
いったいどうして女性は「ろう・養護」枠限定になるのだろうか。ちょっと考えてみた。「女性の校長をゼロにしたら男女共同参画といっていることだし、あまりにまずいだろう。どっかの校長にしなくちゃいけない。しかし、女を登用したなー、これではオレの行くところがなくなる・・」と、ホモソーシャルな共同体の仲間の恨みがましい顔が思い浮かぶ。「いやー恨まれては困る」もっとも仲間から恨まれないところ・・・・。そうだ、ろう学校や養護高校なら校長予備軍の男たちから大して恨まれないだろう・・・という感じで決まった人事だろうか。(これはわたしのモーソーですよー)
今回の人事発表からモーソーするなら、「富山県では時代の趨勢で女性の校長も一応、置かねばならない、置くなら仲間の男たちからあまり恨まれないですむポストにとどめ置きたい」というおもんばかりがあるのようにようにみえる。「女性校長は養護・ケア系枠へ」という人事配置は、多様性がなく富山県教委の頭の古さを感じさせる。教科書やクラスでどれだけ道徳や人の途を説こうと、子どもたちはこういうことから大人たちの本音(規範・秩序)に敏感に気づくものだ。子どもたちの未来を描くことには長けているはずの教育界がこういう枠にはめた考えを広く世の中に示していいとは思われない。