富山の市民運動を再考する機会
10月10日に高岡で行われた「市民運動のスタイル」宮崎さゆりさん講師について報告します。わたしはファシリテーターをしたのですが、参加者であるイソップ通信さんとスミヤキスト通信さんがそれぞれのブログでご報告を書いてくださっているのを読ませてもらい、富山の市民運動の今後を考えつつこの企画を振り返ってみます。
以下、宮崎さんのお話や議論の内容について、イソップさんとスミヤキストさんのブログ記事を交えて紹介します。いずれにしろ、宮崎さんが富山に帰ってこられたことは、富山の市民運動に大きな刺激を与えるだろうと思いました。宮崎さゆりさん個人の今後の富山での動きにも注目したいと思っています。
宮崎さんは、市民運動の原理についてならびに、個人の魅力が人を動かすということの両面を語られた。ラブ・カナル事件を契機に運動家になったロイス・マリー・ギブスやホワイトハウスで座り込んで核廃絶の運動をやり秋葉広島市長から表彰状ももらったというコンセプション・ピショットなど女性の運動家たちについての話はとても興味深いものだった。
せっかく宮崎さゆりさんが市民運動の原理について語ってくださったのだから、富山の運動現場での課題を共通認識し、それをどうやって広げていくかという運動戦略を詰めて語る場にできなかったのはちょっと反省。往々にしてありがちな富山の運動とアメリカの運動の違いを語る方向にもっていったのはわたしの失敗。こういう話になると、富山は保守的だから運動が活発じゃない、それに引き替えアメリの運動は元気でいいなという印象になりかねないので(実際にそう思っていた人も少なくなかったかも)、それはファシリテーターがまずかったからです、というのが今のわたしの最大の反省であり関心事です。
まず最初に、宮崎さんは、市民運動とは社会を変える運動であり、個人の「活動・アクション」とは違う、個人の「活動・アクション」をどうやってムーブメント(運動)にまでしていくかという組織化のやり方、およびもっと大きな「連立組織」をつくるための方法について語られた。
宮崎さんは、ご自身が翻訳された『21世紀への草の根ダイオキシン戦略』の中から以下の
組織づくりの基本原則を紹介された。
1. 話すこと、相手の話をよく聞くこと
2. 最初に話すべき人物と話を聞くべき人物は誰であるかをつきとめること
3. 事実を述べた資料の作成と配布
4. 新しいメンバーの開拓
5. ミーティングの実施
6. 組織構造の確立
7. 目標の設定
8. 標的の確認
9. 調査の実施
10. 直接行動
11. マスコミを標的とすること
12. 組織づくりをささえるために法律と科学を活用すること
出典:ロイス・マリー・ギブス編著綿貫礼子監修日米環境活動支援センター訳『21世紀への草の根ダイオキシン戦略』K.K. ゼスト刊行
以下はイソップさんのコメントです。
個人で出来るアクション(行動)から、組織的アクティビティ(活動)へ。
それが広がってムーブメント(運動)になるというのは、よくわかる話でした。
こうした運動を広げるには、機能的に組織化することが大切だと言うことで、
【組織づくりの基本原則】が12項目紹介されます。その中で、
「目標の設定」の他に「標的の確認」が挙げられていたのは興味深かったです。僕らは市民活動を組織化するときに、その目標は必ず明確にするのですが、
具体的な標的を設定し、何がどうなれば成果を収めたことになるのか曖昧で、
それぞれの活動をやり終えた時点で、成果を確認せずに満足することがあります。
だけどこの確認を疎かにすると、次のステップに進めないと言えるでしょう。
また「調査の実施」や「事実を述べた資料の作成と配布」など、とても困難で、
これがうまく出来れば、もっと活発に活動出来ることはよくわかるのです。
イソップさんが「事実を述べた資料の作成と配布すら実際はなかなかできていないのではないか、これをしっかりやれるとだいぶ違う」というようなご発言をされたと思うのですが、会場でもそうだなと思っていましたが、それをうまく次につなげられなかった。イソップさんが言われているように、最初の段階をうまく処理しきれていないことが本当の課題のように事後的に感じました。事実を知らせる(ファクトシートをつくる)をきっちりできればもっと人を動かすことができるように思います。それが難しいのですよね。しかし、、。いずれにしろ重要なのは、自分たちの課題がどこかということだと思いますこれについてはおそらく意見が分かれるはずです。この点、もっと時間をかけて話し合ったらよかったと思いました。
そしてここからが、保守的でお上ごもっとも型の富山における特徴が検討され、
富山では、「デモやアピールで政治を変えようとするのは難しい」として、
あたりまえの生活空間での、生き方としての自然農の可能性などが出されました。
いわゆる欧米型のデモやアピールとは違う、日本型市民活動の模索です。全部で2時間の報告とワークは、それぞれが熱っぽく時間をオーバーして、
最後に詩人でもある宮崎さんの詩を、一編しか聞けなかったのが残念でした。
それにしても、富山型市民活動とはどんなものなのかを話し合ったのは初めてで、
個々の市民がなかなか動かない、保守的な風土の中での市民活動の難しさを、
みんなであらためて認識したような、奇妙な連帯感もあったような気がします。
とイソップさんが書かれているのですが、富山の市民運動はあまりないとか限界があるみたいな話になったのはちょっと不徳のいたすところです(おおげさか)。運動の課題を乗り越えるために宮崎さんは市民運動の原理を説明されたのに、わたしたちは自分たちのやっていることにちょっと引きすぎだったような。そこでもっと富山の市民運動の歴史を語っていく必要があると言ったのはそういう印象をもったからです。まあ実際にそこでは、富山の市民運動について思い起こす場になりました。具体的に、志賀原発の反対運動、7・3教育といわれる富山の学校教育に対する教職員と保護者の運動について、川崎磯信さんのやみ米運動、串岡弘昭さんの内部告発、ホイッスルブローアー運動など思い出せば、富山はなにも米騒動だけが運動ではないのです。それについてあわてて確認したのでした。
一方、スミヤキストさんは以下のように紹介されています。
宮崎さんの話はプロジェクターを使った分かりやすいものだった。沖縄での嘉手納基地を取り囲んだ第一回の人間の鎖行動の話では、前夜来の豪雨があって、成立が危ぶまれたことが逆に参加を促すことになって成功したことや、アマミノクロウサギなどの野生動物を原告にした環境保護裁判のこと、ワシントンDCのホワイトハウス前でのさまざまな平和・反核の行動などを紹介しながら、市民運動に対する原理的な考察を語っていった。
思えば、われわれは(追い込まれてやむを得ず、たいていはシングルイッシューの)、なんらかの運動を立ち上げて、その進め方などを必死になって考えている場合が多いのであって、市民運動一般を改まって考えてみることはあまりなかった。そういう点では、いわば「市民運動原論」のようなメタレベルの視点を開かれて有意義であった。
宮崎さんは、アメリカでの市民運動の現状や方法論について語ることが多かったのであるが、印象に残ったのは、日本の運動がリーダーをトップに頂くピラミッド型であるのに対して、アメリカのそれはいくつかの委員会などによって構成される車輪構造(輻)モデルで表されることや、デモや座り込みはもちろん、時としては法律に違反するような直接行動によって逮捕されることは、むしろ英雄的行動と捉えられていることなどである。
これは日米の対比として出されたのではなく、ピラミッド型がアメリカでもあるからそうでない方向を打ち出したものではないでしょうか。決して日米の対比ではないと思います。アメリカのがなんでもよいわけではなく、富山の運動を再確認しさらに、もっと力を持って行くにはどうしたらいいかをこそ話し合っていきたいと思いました。
つまり、「市民運動原論」のようなメタレベルの視点についての宮崎さんのお話を受けて、富山の市民運動を再検討するというところをもっと議論できたらよかったのだと思います。しかしながら、アメリカの運動は違うという意見や、富山は保守的な土地柄だから運動は難しいというような言い訳にするような話になった部分は、わたしが富山の運動との違いに話を向けすぎたせいもあるなあと振り返っています。アメリカの市民運動の例として言われていたコンセプション・ピショットさんやシンディ・シーハンさんの運動だって一人が頑張った運動なのだから、川崎さんや串岡さんの運動が大きく社会を揺るがす影響力をもったあことをもっとわれわれが自信をもって語っていくことこそ大事ではないかと気づかされました。富山の課題を受けて、さあどうすると富山の運動を再構成するような方向の第二弾を次にやりたいですねえ。
【付記】富山の市民運動について、ご参考までに当ブログの過去ログをあげておきます。
富山の女性運動(2)ー80年代以降草の根的動き
北京女性会議にチャーター便で参加した富山県の女性たち