アジア研究学会報告のまとめ

 まず、私たちの「ジェンダーフリー」論争とネットに関するパネル報告、次にアジア研究学会に参加しての報告という順序で書いていきたい。まず、わたしたちのパネル報告についてだが、サントリー文化財団の研究グループのサイトであるグローカルフェミニズム研究会でちょこっと報告をわたしも書いたが、他にも報告がでているので紹介しておきたい。
 まず、山口智美さんの報告では、以下のようにまとめている。

まず私(山口智美)が、「ジェンダーフリー」という言葉が「発見」された1995年から現在に至るまでの、「ジェンダーフリー論争」の背景を説明する発表をした。双風舎編集部編『バックラッシュ!』掲載の、「ジェンダーフリー論争とフェミニズムの失われた10年」論文の内容に、2006年から現在に至るまでの展開を加えた内容の発表である。とくに、フェミニズム側が「バックラッシュ」というものを、現状分析が欠落したまま、「フェミニズムが成功した成果のあらわれ」であると妙にポジティブに捉えたり(斉藤さんも言及している岩波『日本のフェミニズム』増補版の記述などがこれにあたる)、あるいは逆に一方的に「怖いもの」「下らないもの」であるとして、とくにネット上のバックラッシュについてタッチしないで放置というスタンスをとってきたことなどの問題にも言及した。ローレン・コーカーさんは、「ジェンダーフリー」という言葉の中の「ジェンダー」に着目。日本のフェミニズムというコンテクストで、「ジェンダーフリー」の起源であるとされた(それは間違いだったわけだが)バーバラ・ヒューストンのほかに、いかにクリスティン・デルフィーの「ジェンダー」概念がとりいれられていったかについて論じた。それは、バトラーらの「ジェンダー」概念が広がっているアメリカでは、一般的にわかりづらい概念であるという。このローレンさんのデルフィについての発表と、私のヒューストンの論文中の「ジェンダーフリー」が日本で間違って解釈され、使われたという議論をあわせることで、日本における「ジェンダーフリー」概念の発生についての背景についてかなり説明できたのではないかと思う。

荻上チキさんは、「ジェンダーフリー論争」をめぐり、ネット上で起きたフェミニズムバッシングについて解説、分析する発表だった。自ら「ジェンダーフリーとは」のまとめサイトを作り、バッシングの流れと違うフローを作ったという経験に基づき、日本のネット文化のひとつの特徴でもある「まとめサイト」が果たす役割であるとか、こういったネット上の動きが「ポスト社会運動」といえるものになっているが、そういった動きにフェミニズムが対応できていないことなども指摘した。実は今回のパネルは、荻上さんにとっては英語発表デビューだったのだが、見事にばっちりとこなしておられた。その後、小山エミさんが、「ジェンダーフリー論争」以降の動きとして、毎日新聞waiwaiをめぐる騒動と、国籍法改正をめぐる騒動の2つのネット上での動きをとりあげ、その動きの背景にあるセクシズムと排外主義について言及。それらの動きは実際の社会運動、政治的な動きにもつながってくるものだと指摘した。荻上さんと小山さんの発表は、両方ともネットにおける「運動」が実際の政治や社会に大きなインパクトを与えうる動きである(そして実際に与えている)ことの重要性を指摘したものだったと思う。

斉藤さんの発表は、いくつかの県や市などで導入されているという「男女共同参画推進員制度」について、とくに富山のケースに焦点をあてて分析しつつ、「男女共同参画」の地方における実践が、料理教室、寸劇、カルタなど、いかに実効性がない、ある意味無意味なものになってしまっているかについて議論したものだった。「ジェンダーフリー」という言葉を使い推進された「市民の意識啓発」は、「ジェンダーフリー」という言葉が行政の場であまり使われなくなった現在でも実質上続いており、それがむしろ「男女共同参画」の実現にマイナスに影響しているのでは、という指摘だった。そして、「ワークライフバランス」など、国の男女共同参画政策に実際に関わり、詳しいディスカッサントの山口一男さんが、現在の日本の「男女共同参画」政策の問題を指摘、とくに、地方での動きがいかに実際の平等の達成というゴールから無関係なものになっているか、と指摘した。斉藤さんの発表と山口一男さんのコメントで、日本の男女共同参画政策の問題点がかなり浮き彫りになったと思う。

 山口さんも書かれているが、山口さん、ローレンさん、チキさん、小山さんら他のパネリストとの発表前からの原稿についてのやりとりをしたり、討論者の山口一男さんには10日ほどまえに原稿を送り、当日詳しく議論を提起されるという過程をへたパネルは内容的にもまとまりのあるもので充実したものであったと思う。それは参加された方にも伝わるものがあったようで、参加者が多かっただけではなく、速攻でいろいろ質問やコメントが返ってきてその場でも議論することができて有意義であった。これもオーガナイザー役をやってくださった山口智美さんの、いいパネルにしたいという熱意とパワーのおかげだと思っている。英語で原稿を作ること自体に喘いでいた時はほんと心強かった。それで終わってから風邪が来たのはお疲れがでたんだろう。討論者の山口一男さんとの始まる前の打ち合わせなどでの議論も益のあるものだった。
アメリカで発表したことで、オバマ大統領を生んだようにリベラルがネット活用に長けているアメリカと、2ちゃんねる、ブログなどでの右派言説の盛り上がりが目立つ日本のあまりの違いはどこから来るのかという論点について考えていきたいと思うようになるなどいろんな意味で刺激になった。

 次に、アジア研究学会へ参加しての感想についてである。山口さんとマチュカさんから報告が出ている。山口さんは、自身の「ふぇみにすとの論考」サイトでもアジア研究学会参加記を書いておられる。また、マチュカさんは、macskaブログで報告されている。なんか”まさみん、大先生だったんだ!”ってからかわれているぞ。知らなかったらしい(笑)、macskaさん! 

 わたしからのお返しは、macskaさんのあのお手並みに感心したこと。日本に帰る日の朝、朝食後、山口さん、チキさん、それと相部屋したヨンミさんと、ロビーのテーブルを画面にしたmicrosoft社の世界マップで世界に散らばる4人の自宅をググって(というのもへんだが)ほんとに魔法使いのように世界の地図を自由自在に開いてぞうさもなく地球をひとっ飛びするしてくれたmacskaさんのあの手つきがすばらしかった。魔法使いのように世界を自由に行き来し、ポートランド、モンタナ、ニューヨーク、東京、富山の各地に連れて行ってくれるんだもの、不思議でもあり、おもしろかったなあ。macskaさん、学会参加は意欲的でお元気そうだったが、今は調子悪いそうだ。早くよくなりますように。

 また、チキさんの部屋に集合し、ルームサービスで頼んだシカゴ・ディッシュピザの巨大さに驚いたし、その時のルーム・サービスのアフリカンアメリカンのお兄さんが日本語で一生懸命に話してくれたのにもちょっとびっくりだった。

 あと、私が行ってみた発表は、『文化、ことば、教育』(佐藤慎司、ドーア根理子編)本を書かれたグループのドーアさん、大久保祐子さん、高藤三千代さんらのパネルと、1970年代末金沢に住んでいた頃お友達だったフィリップ・ブラウンさんの発表、お茶大の院時代の知り合いである武田宏子さんの発表。

 最初のご発表は、アメリカでの補習校についてというネタ自体があまりよく知らないことであったためか時差ぼけのせいかあまり頭に入らず仕舞いであった。また、ブラウンさんは以前は加賀藩の石高についての研究をされていたが、現在は、越後平野の川など江戸時代からの治水に関する研究をされていた。随分昔から氾濫に苦しんだりして水路を変える工事がなされてきたんだなと思った。また、日本はこんな小さい島国なのにダムは世界有数の規模であり、ダムは中国や日本など東アジアで多く建設されているらしいこともわかった。わたしが富山の小矢部川の上流の村で育った昭和30年代は、次々と山奥にダムができて上流の下小屋、臼中、上河内などの村村が廃村になっていく歴史の一コマだったので余計に感傷的に話を聞いたのかもしれない。武田さんのご発表は、現在の日本の食育など食をめぐる政府のガバナンス(統治)についてであった。

 アジア学会からは昨年アメリカ女性学会での発表旅費をいただいたご縁があったが、学会大会は初参加であった。参加してみて、日本からの参加も少なくないが、北米からだろうと思える非アジア人がこんなに多くアジアについて研究しているんだということも新鮮であった。また宮台・東パネルが日本語で報告されたというのを聞いて、日本語での発表も可能だというのもちょっとした驚きであった。日本語発表可というのは、これまでわたしが参加した他の海外学会ではなかったことであった。これもアジア研究ということで現地語での発表だからオッケーということなんだろうかなどと考えた。

 いずれにしても、日本で生活していると、日本も含めて「アジア」というまとまりで考える機会が意外と少ない。アジアに旅行に行くというのは、日本から「アジア」に行くということで、日本を含まないアジアをイメージしている。その他にも、「アジア」というのは「日本を除いたアジア諸国」をイメージすることが多いような気がする。そんな「アジア」観を振り返る機会としても日本を含めたアジア研究を考えるのはいい機会だったと思っている。