高岡で花見に行ったら鳩山由紀夫氏に遭遇
ここ富山では絶好の花見日和。満開の高岡市古城公園に繰り出したら、どこにこんな人がいたんだと思うくらい、人人人でびっくり。日頃の寂れ感とはうらはらに、人でごったがえしていました。みんな楽しそうでよかった。
そこに人だかりがすると思ったら、民主党の鳩山由紀夫氏と相本芳彦候補がツーショットで回っておられるではないか。鳩山氏は来る人にはこばまず名刺を配って、写真に収まってというサービスに努めておられた。相本氏はそういう鳩山氏の横で「変えましょう」「いっしょに変えていきましょう」とちょっと思い詰めたような必死な表情で呼びかけておられたのが印象的であった。あわててミーハーしてシャッターを押した何枚かです。今朝の地元新聞にも写真が載っていたけど、負けずにいい表情が撮れたんではないかと。。
しかし、新聞のツーショットと我が写真を見比べて、新聞社のは民主党の宣伝と思われないように周囲に人が集まっているショットしか掲載しないんだなと納得。私の最後の一枚など掲載しようものなら、民主党の反対勢力から文句たらたら出そうな一枚だろうなと思ったり。
桜もきれいでしょう。今年の高岡は、古城公園の桜が、「タカオカコシノヒガン(高岡越の彼岸桜)」という新種であることが発見されたといってニュースになっていた。こちらやこちらに紹介があります。あまりの人でどれがその桜かはよくわからなかったなあ。
なんでも高岡古城公園は全国の桜の名所100選の一つとか。その上、日本経済新聞社が花見が楽しめる都市公園ランキングを公開しその第四位に選ばれたんだそう。こちらにあります。 以下に概略紹介。
花見が楽しめる都市公園ランキング
ランキングは次のとおりです。(ランキングには、花の美しさだけでなく、周辺の環境や歴史などまさにランドスケープ的な視点も考慮されています。)
というわけで陽気に誘われきれいな桜を見に来たひとびととそれを追ってきた一群でした。ほんとに桜の花の命も短いけど、鳩山、相本軍団の古城公園訪問も一瞬のことなのに、その場に出会えたのはとても思い出になる。というよりブログネタにできてよかった、かな。
【追記】ちょっといい話
タカオカコシノヒガン発見と古城公園の桜の由来が毎日新聞の青山郁子記者の記事に書いてありました。高岡の桜の故郷が城端、庄川方面という意味がわかったし、きれいな桜も多くの先達のご苦労の賜なんだなあということが伝わってきました。
加賀藩から砺波の十村役に「高岡に桜馬場公園を作ったから桜を持って来なさい」という命令書のようなもの。それも「山桜ではなくてうば桜(今のエドヒガン系)で」という高飛車な命令。以前、この欄で紹介した「ラッコを調理法とともに献上しなさい」という魚津あての内容の文書を思い出した。全く加賀藩って……。
まじめな富山県民は今の南砺市の城端や庄川あたりからきれいな桜を探し、高岡までせっせと運んだのが現在の高岡古城公園の近くにあった桜馬場公園。ここは長らく高岡市民のお花見の名所であったという。ただ見るだけでなく1929年、砺波中学(当時)教諭、御旅屋太作が、植物分類学の祖、小泉源一・京都大教授に研究を依頼し翌年、城端で野生種のコシノヒガンを発見。32年、小泉教授が「コシノヒガンザクラ」と名付けエドヒガンとキンキマメザクラの野生種2種が掛け合わさった桜だと発表した。
こんなに苦労したのに戦後の道路拡張でせっかくの桜が伐採の危機に陥る。そこに登場するのが、高岡出身の加茂善治という人。東京農林専門学校(現在の東京農工大)教授で、苦労して現在の高岡古城公園での増殖に成功する。今、古城公園で見られるのはこの桜なのだ。
そして今。大原さんが1年をかけて全国のコシノヒガンを研究。その結果、全国に普及しているタイプ、長野県伊那市にある「タカトオコヒガン」など四つのタイプがあることを突き止め、昨年の日本桜学会で発表した。そのうち古城公園の桜は花びらが丸くて、ウエーブがかかり、雌しべが短いなど他の三つと明らかに違うことが判明。今年新種として「タカオカコシノヒガン」と名付けた。
古城公園の桜に関するこれだけ詳しい話は初めて聞いた。もっと知られていい話だと思うので、こちらでも紹介します。いい話は、広げていきましょう。それにしても「山桜ではなくてうば桜をもってこい」とは、エライのね、加賀藩。シモジモが苦労して桜の調達に走り回る姿が想像できるなあ。