高岡に住むことの妙味:文化と味

今日は、堀田善衛の研究会でその母くにさんのことについて話をしてきた。「堀田善衛と伏木のまちづくり講座ー今に生きる 郷土の先人の歩み 北前の歴史、くらし、まちなみを未来へ」という勉強会(於;高岡市万葉歴史館、主催北前新総曲輪夢クラブ)で、「堀田くににみる先見性と社会性」という題で話をしたのだ。しみじみ、地元高岡の文化の中で生かされていることを考えることになったが、私の前の弁士は、元県議犬島肇氏の「伏木の国際人堀田善衛に学ぶ」であった。私は、県議の谷内清子さんから急遽頼まれた雇われマダムのようなものだ。犬島氏のような筋金入りの堀田研究とは格段の差があってもしかたないと思うしかない。

これは、富山県庁の新進気鋭のみなさんが「北前新総曲輪夢クラブ」というグループを立ち上げ、県議の谷内さんや元県議の犬島さんらと共にいろいろな活動をやっておられるその企画の一つだ。谷内県議のことばによれば「県庁職員参加型市民企画」なんだというくらい、みなさん、仕事外ボランティアのはずなのに、たんたんと裏方を務めておられる。事務局の宮崎さん、米谷さん、上田さん、どうもお世話さまでした!!塚原元生活環境部長(現在は、出納長とのことです。教えてくださってありがとう、宮崎さま!:5/15追記)も毎回、ご夫婦で参加しておられる。

大正年間に富山県で初めて保育所を創設した堀田くにさんについては、「ありーて」17号「セピア色の写真ら」で向富士子さんたちが書かれているのをご覧いただきたい。<http://www2.city-takaoka.jp/gec/>から「ありーて」17号へ。

伏木の町は北前船貿易で没落したのではなく、堀田くにがなした「女性の連帯による保育所の創設」、堀田善衛による「文学という形での新たな思想の創造」によって、経済ではなしえない文化創造を果たしたのだというのが本日の私の趣旨であった。

伏木婦女会の会長として、会の活動として女性の連帯によって保育所の創設を成し遂げている。自分の家業が傾いて没落していく途上で「なぜ?」という質問も出た。私は、女は失うものがないから「開き直りの強さ」を持っているのだと答えた。敗戦直後の女性を調べると「解放された」という声がよく聞こえてくる。父権性的権威の失墜に意気盛んになった様子がいろんなところに描かれている。しかし、それも文部省の「民主化」教育というマジックタームや、「婦人参政」というかけ声によって「民主主義=婦人参政権」に収斂させられていく過程については、前に「ディスコースジェンダー」という論文で書いた。

その時に、伏木は北前船の港で栄えた。福井の三国もそうだが、ふか〜〜い文化が根付いているのだ。三国でも思ったが、おいしい食べ物が多い。そういう伏木に住む向富士子さんのお宅の裏山にはきちんと手入れたされたタケノコ山がある。伏木に行って今日は向さんちのたけのこをどっさりといただいてきて、さっきゆでたところである。さっそくゆでずにだしとおしょうゆで煮てみたいが、それがまたいける。きのう、高田の馬場の雑踏の中から帰った身には、ひときわ「豊かな文化」「味わいふか〜〜い文化」を感じてしまった。帰路になじみの「くらのさん」という魚やさんが駅前にあり寄ったら、今日は近海もののマグロといしもちがあるという。それも買ってきて、今晩は地物のタケノコ、氷見のマグロ、いしもちそれに私の定番ロワールのQuincyを合わせた。ばっちりだ。サンセール、プイィ・フュメなどロワールの白は魚介にはみないいが、なぜかカンシーが好き。富山湾の魚にちょうどいいのかも。地方で過ごすことの妙味というか、すみずみに文化の豊かさを感じられるということは、やはり大事にしていきたいと強く思った、また、人の関わりも濃厚でありそれらを大事にしていきたいと思うのだ(酔っぱらいの戯言と言われるかもね)。