ジェンダー論における文化の多様性論議

前のエントリー(4月22日)に【追記】として『伊田広行『はじめて学ぶジェンダー論』の謎』という関連サイトを紹介しました。前のエントリーと紛らわしくなったので、改めて「ジェンダー論における文化の多様性論議」というエントリーをあげて再掲します。

文化によって性が異なっていることを例に出す際に、よく読まれているジェンダー本3冊がそろって70年前のミードのニューギニア部族の差異を出してくるというのはフシギですねえ。わたしはかえってその価値前提に興味が沸きます。ミードは以前から上野さんも引用したり日本では最近でも文化による性差を示す際によく使われています。マネー&タッカーの『性の署名』にも引用されたりしていたので、アメリカでもよく使われていると私も思っていました。しかし、その後ミードが英語でニューギニア部族の聞き取りをやっていたことなど批判が出ているし、時代背景もあるだろうし、学問思潮もまったく異なるだろうし、などなどで70年前のものを文脈を取り除いて取り上げるのはリスクも大きかろうと今は思っています。


だから、人類学をアメリカで学んだyamtomさんのコメント「日本を語るのに『菊と刀』を今頃になって持ち出してくるのと同じくらい苦しい。」というのは笑えました。


なお、私の手元にある諸橋氏の『ジェンダーというメガネ』には、「文化人類学は、マスコミや学校やキリスト教会などの『(西欧的)文明』が入り込んでいない地域で、人々の暮らしぶりや家族関係や役割分業やタブーなどの規範等を観察し聞き取ることによって、人間のピュアな状態がわかるという意義がある」(p.41)とありました。「役割分業やタブーなどの規範等観察聞き取ることによって、人間のピュアな状態がわかる」ってどういうことかな? 女、男の本質的な姿がわかるみたいなこと? なんかちょっとわからないゾ。

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伊田広行氏の論考に関して書かれた興味深いサイトがあったのでご参照ください。まずはご紹介だけですが、あげておきます。文化人類学の方のご意見を伺いたいところです。まあ、その前に引用についての基礎的なお約束を外しているというご指摘ですが、、(たくさん本を出すという裏にはこういう実態があるの?)。内輪ノリで安易に引用しあって、、ってことのようのですが、「ジェンダーフリー」の誤訳、転用とよく似たことが起きているようです。海外の文献を換骨奪胎して使い倒すということかな。しかも、登場人物が著書を量産されている男学者うち揃ってというのも、なんだかこれまでの当ブログで言ってきたことと無関係ではなさそうですぅ〜。
山口智美さんからトラバされている、女性運動の無視や文化の多様性が口先だけ、ってこととも連続していますね。

伊田広行『はじめて学ぶジェンダー論』の謎
http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20060320
「こういうことが重なると、「ジェンダーフリーバッシング」とかが起きるのはある程度しょうがないという印象を受ける。 女性学とか男性学とかジェンダー論とかって科目名で大学の授業している人々は、いったん自分たちの研究を見直してダメな研究をちゃんと排除して浄化しなきゃならん。 まあいわゆる学際的な学問領域が立ちあがるときは、伝統的な領域から難民のような人々がまぎれこもうとする傾向があるようだ。別の分野でもそういうのを見たことがある。そこでがんばれるかどうかがその分野がちゃんと成立するかどうかの分かれ目なのだろう。先行研究を信頼して参照できないのならば学問として一本立ちできない。まあ伊藤先生や伊田先生や諸橋先生が権威として信用されているわけではないだろうが。 ジェンダーな人々もここは踏ん張り所だな。
「諸橋泰樹フェリス女学院大学文学部教授は剽窃野郎で有罪。 伊田先生は出典を隠して灰色、井上先生はもっと薄い灰色というかほぼ白(村田先生の文献の参照を忘れただけかもしれない)。伊藤公雄京都大学文学研究科教授は無批判孫引き野郎で学者としてまじめに相手するに値しない。と考えてしまってはちょっと言いすぎかな。まあしかし、ちゃんと自浄できないまま引用しあう学者社会はだめだ。」

で、これは以下のエントリーが発端だ。
http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20060315

ジェンダーは文化だってことの証拠としてp.62でミードの『男性と女性』の研究がひきあいに出されている。で、先日触れた伊藤公雄の『男性学入門』ISBN:4878932589使われているのだが、この表、なんだ?この二つの表はすごくよく似ていて、ほとんど縦横を変換しただけ。
伊田は出典 マーガレット・ミード『男性と女性』1949年。諸橋泰樹『ジェンダーというメガネ---やさしい女性学』(フェリス女学院大学)としている。「ジェンダーというメガネ』の発行年月日や発行者は不明。(フェリス?)もちろんこの表はミード自身のものではない(し、ミードの研究とは離れてしまっている)。
「なんじゃこら。どこかでインチキが横行しているんじゃないのかなあ。
なんか、フェミニズムの人々はバカなバッシングを受けているだけじゃなくて、もしかしたら背後から足ひっぱられているかもしれないとか思ったりもする。」

そしてその後も続いているゾ。
http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20060322/p1

これに対していただいたコメントです。

# yamtom 『文化人類学の人です。でも人類学なんか超えて、そもそもこれは基本的な引用マナーの件ですよね。ブログ主さん、丁寧に調べられましたねえ。。しかし、これらの学者がやっていること、アメリカの大学で学生がやったら、最悪の場合退学処分だったりする。。しかもそれを出版物でやってしまうとは!「ジェンダーフリー」に関する混乱状態と関連深いと私も思いました。ちなみに伊藤公雄氏は、やはりジェンダーフリーに関しても、ヒューストンを間違って引用しているお一人でもある。
また、今頃になってミードをひたすら引用し続けることにも問題感じますよねえ。。そもそも、ミードというのは、当時にしても、比較的ポピュラー本的な扱いの本を出してきた人。その後に大量にある、フェミニスト人類学の仕事は無視ですか〜??翻訳されてないものしか使わない/使えないことによる問題点も感じますね。』

# yamtom 『伊田本はもっていたので、ミードの表部分をみてみました。あの表が掲載されているコンテクストが、あの表を批判的に読み取ることがまったくないまま、単に受動的に学び取ろう、、というところにも無理を感じます。この「部族」に属する人たちの中の多様性は完全に無視した、パターン化された記述ですもんね。ミードや、彼女が属したCulture and Personality 学派のことなどについての解説もないし、日本を語るのに『菊と刀』を今頃になって持ち出してくるのと同じくらい苦しい。。』