中学の社会科教科書と「ジェンダー」について
- 今日、高岡市の教育委員会が公開している会場に足を運んで会場で写真を撮っていいか聞いたりしたので会場で番をしている元教員の方、教育委員会の方などとお話ししてきました。みなさん、社会科に関心が集中しているとおっしゃっていました。あとはあまり変わらないとか。それと現場では、教科書もそうだけど、指導要領が肝心だということも。それからすると、扶桑社が注目されているけど、扶桑社の教科書だけの問題ではなく、全体的に保守回帰していることが心配になりました。小泉政権が続いているからその影響も大きいのでしょうね。中山文部科学大臣が管轄の長ということもすごいわ。
- で、私が自分の専門から見て気づいた点を一つ、二つ書きます。まず、中学の扶桑社「公民」をぱらぱら開いて最初のところで目が釘付けになったのは、縄文文化のところ、p.19の竪穴住居の内部の絵でした。写真でつけましたように、男は狩猟、女は家事・育児という性別役割分業が”絵に描いたように”典型的な姿で描かれてました。しかし、横に当時の食べ物の種類を書いた図が示していたように、当時、狩猟で獲物がとれるのは特別のこと、日頃は女性たちによる木の実や山菜の採取などが主な食糧源だったと言われているのに、これはなんだ。男はひげをはやして離れたところにいて、食事づりには関係ないって態度。室内には女、子どもばっかりいっぱいいる。子どもだって女がだけがおぶっていたなんてほんとう? 文章では、「男達は小動物の狩りと漁労に出かけ、女たちは植物の採集と栽培にいそしみ、年寄りたちは火のそばで煮炊きの番をするといった生活の場面が想像される」とある。もろ近代からみた「性別役割分業」観、『子ども』観だ!!
- 絵の横にも「想像による復元」(新潟県十日町市博物館にある絵とある)と断っているけど、性別役割は、太古の昔からありました(日本の伝統です)と言わんばかりです。フェミニスト考古学はこういった非常識に見直しをかけたはず(論文読んだ覚えがあります)。執筆者か扶桑社に誤解を与えるといった方がよさそうだ。森理恵さんが科研費で調査報告を出されていましたよね。博物館の性別役割分業の問題については・・・見直しかけなくては!
- 扶桑社の『公民』には、「男女共同参画社会の課題」という頁があります。そこでは、「我が国では、男女の地位に関してはまだまだ平等と思われていない部分も多い。その中の主要な一つが歴史的、文化的に形成された性のあり方や性別役割分担意識(ジェンダー)があると言われている。(中略)しかし、『性差と男女差別を混同し、男らしく、女らしくという日本の伝統的な価値観を否定している』『専業主婦の役割を軽視している』といった反対の声も出ている」といっている。
- これだと「男らしく、女らしく」が日本の伝統的な価値観であることを認めていることになり、おかしい。「男らしさ、女らしさ」は、ジェンダーの疑似問題であって、核心をずらすための論法だと思っている。「性差」が問題なのではなく、「性差」に関してのステレオタイプな見方を押しつけることこそ問題である。これはその悪しき例である。こんなお粗末なレトリックを教科書に載せているなんて、あきれてしまった。
- さらに、山口県宇部市の条例を褒めそやし、最後は「男らしさ、女らしさを大切にしながら、個性を磨き上げていくことが重要である」といった流れになっている。なんだか、性差意識に傾斜した、道徳的な香りが強い教科書であった。
- どうしてこのような道徳的な教科書が採択されてしまうのだろう、指導要領にはどのようなことが書いてあるのか、確かめたくなった。教育委員会の方によると、指導要領は、インターネットでも全文公開されているということdから。このあたり調べている方、教えてください。