Bruckner05さん、誤解しないでください。

bruckner05氏のブログ「人権・男女共同参画・性etc.」サイト[gender]女流棋士会独立に見る脳の男女差/ジェンダーフリーを放棄したAERAというエントリーで、わたしが実名で登場させられている。bruckner05氏のエントリーは産経とアエラ女流棋士会の独立に関する記事をもとにそれを性差との関連で論じたものである。これについてのとんでもぶりは、macskaさんの「日本将棋連盟から女流棋士会が独立」報道を巡ってで至極的確に批判されているのでご参照下さい(関係者のコメントもついており、必見です!)。ここでは、わたしおよび『きっと変えられる性差別語』への批判点3点についてだけ述べます。


わたしが引用されているのは次のようなくだりです。いずれも『きっと変えられる性差別語』に関する批判のようです。


上野千鶴子氏や斉藤正美氏(id:discour)らフェミニストは「『女流』棋士会」なんていう言い方は女性差別だと目を剥きそうだが*1、当の女性棋士が好んで使っているし、社会的にこれを問題視する人はほとんどいない。(discour記:なお、脚注部分は本エントリーの最末尾をごらんください)


1) 「『女流』棋士会」なんていう言い方は女性差別だと目を剥きそうだが*1、当の女性棋士が好んで使っている」という点についてです。

女流棋士会」という名称は固有名詞です。「好んで使っている」かどうかは知る由もありませんが、正式名称であるから名称を変えない限り、団体に所属している方達に使われるでしょう。わたしは、少なくとも他人が名づけられた固有の名称を性差別表現だと「目を剥く」ことはありませんし、「性差別」だと批判したことは一度もありません。


2) 註であげられている「女流棋士」呼称については、不正確な引用がなされ、「女流棋士」という表現を全面的に問題にしているように誤読を誘導させています。
しかし、わたしたちが「女流棋士」を性差別表現だと批判するのは「職業名」として取り上げられた場合に限定されるのです。固有名詞である団体の固有名詞である「女流棋士」を職業名として使ってはいけないという主張です。実際には、『きっと変えられる性差別語』ではこのように書いてあります。


ジェンダー的公正報道の五原則 
 わたしたちは、英語の非差別ガイドラインの多くに共通のジェンダー公正原則を研究し、日本での新聞報道の基準に応用し、以下の五原則として提案する。これは日本の新聞報道に関して提案された最初の非差別表現原則である。
 わたしたちの提案
 1.性別情報不問(ジェンダー・フリー
「男=標準、女=例外、下位、特殊」という社会規範が浸透している現状では、必要がない限り性(ジェンダー)情報を含まない。特に、職業名は、男性と同一の職業分類で十分である。職業名としての「女流棋士」「女医」「女性宇宙飛行士」などは使わない。どうしても性別が必要であれば、「男性○○」も積極的に使おう。(『きっと変えられる姓差別語』


3) この本に「ジェンダー・フリー」が使われていることについて誤解があるようなので述べておきます。これは、言語表現に限定した用法ですので、誤解のないようにお願いします。


 英語圏において性差別のない表現運動の中でhe、 manなどの男性を表す言葉が「人間一般」を表していたことに対して性差別をしないようにと言語から性別情報を抜いたり、性のない用法(chairmanからchairperson,chairへ)を使うことをgender-freeというのです。性に中立なgender-neutralと同様の意味です。決して、日本でよく使われる、「社会的性差(ジェンダー)の押し付けから自由(フリー)になる」というような意味の和製英語とはまったく異なる文脈で使われる用法です。


 ちなみに、井上輝子氏が英語圏での非差別言語運動という言語表現に限定したgender-free用法をもって 英語圏ではジェンダーフリーを使うという反論をされています(「『ジェンダー』『ジェンダーフリー』の使い方、使われ方」『「ジェンダー」の危機を超える!』青弓社:81-82)が、これもbruckner05氏と同種の誤解によるものです。英語圏での用法はあくまで言語表現のみに用いられるのです。

*1:女流棋士」「女流作家」「女医」「女性宇宙飛行士」等は性差別表現で、「性別情報不問」「女だからと区別しない」という意味でジェンダー・フリーな表現に変えるべきだという。単に「棋士」「作家」などと言えばいいそうだ。『きっと変えられる性差別語』上野千鶴子+メディアの中の性差別を考える会編、1995年。上野先生、この本の中でもジェンダー・フリーという言葉を使ってますね。