主流フェミニズムの「カリスマ」「カノン」づくり批判

フェミニストの論考にて、「[フェミニズム][バックラッシュ]何が忘れられているのか」というエントリーが立てられている。「バックラッシュに対抗するという大義名分のもと、特定の制度的フェミニズム以外の歴史の「積極的な忘却」と、それに基づく「歴史の塗り替え」がなされているのではないか」というtummygirlさんのコメントを受けて山口さんが「行動する女たちの会」の80年代以降の活動がいかに「積極的に忘却」されフェミニズムの歴史の中で周縁化されててきたかについて書かれている。

わたしは、地方の市民運動出身なので、主流フェミニズムが「地方の運動」特に、中央主導ではなく草の根的に地方から生まれた運動を無視したり重要ではないとみなしたりしてきたことについてはわりと知っている。注目されることのなかった、富山における80年代以降の運動についてはすでに、 富山の女性運動(2)ー80年代以降草の根的動きで書いたが、1980年前後に富山でもリブ運動が起きていた。「女たちの会」という名前で1983年に『つみ草つうしん』を創刊し、1986年まで15号を出し続けていた。東京の運動とも行き来があった。その運動体はその後「めんどり会議」や「メディアの中の性差別を考える会」などに引き継がれた。90年代半ば以降は、少し傾向が変わったように思われるが、「女性センターを考える会」、「シャキット富山35」、「グループ女綱」などの活動へとゆるやかに受け継がれている。

こうした80年代以降の活動、ましてや富山の活動が女性学で議論されることはほとんどない。あるとすれば、女性学がうとい「現場」を知っているということで、「現場の声」として添えられるか、中央から全国に指令を出す際に声をかけるのに都合よく全国に散らばってある団体、という扱われ方であった。きっと中央の女性学者から見て、自分達がそこから学ぶべきことや見るべきことのない運動という風に考えられていたのだろう。(90年代以降、中央発信で地方に下ろすというトップダウンの運動が盛んになったことと、FAX通信やメーリングリストなどのコミュニケーション・ツールの関係については別に書いてみたいことだ・・)

今回、わたしが書いてみようと思うのは、主流フェミズムが「地方の運動」を周縁化する一方で、一体何を重視しているかについてだ。つまり、地方の運動を「大したことない」としているのであれば、フェミニズムは何を「大したことだ」としているか、ということである。

わたしは日本のフェミニズムは、地方の運動を「大したことない」とする一方で、「カリスマ」づくりや、「カノン(正典・模範)」づくりをしているように思う。「カリスマ」づくりというのは、一部リーダーをあがめ、その権力を増大させるような動きを指している。異論を封じて一定のリーダーの見解だけを正しいとすることもそれに入る。「カノン」はある作品を重要なもの、正典と広く認めることを指す。これは一般にフェミニズムがもっとも嫌うことのはずだ。なぜなら、フェミニズムは、文学や美術などで「正典」や「権威」ということによってこれまで「女性の排除」が正当化されたことに対し、その男性中心主義の歴史をふり返り、批判してきたからだ。

例えば美術史では、「見る=男の画家・権威・主体/見られる=裸の女・支配・客体という非対象なヘテロセクシズムとミソジニーの欲望のまなざしで男性主体や家父長制の正当化する」からカノンをつくることを批判してきた。例えば、「ジェンダー研究の理論と表象分析のいま―国家・資本・表象の共謀と攻防」を参照。しかし、現在のフェミニズムは、異論を封じ一定の有名フェミニストの意見だけを「正典」とみなす傾向が強い。「バックラッシュ」が起きたとされて以降、「バックラッシュに負けるな」と一層その傾向が助長されてきた。これらも含めて「カノン」づくりの傾向が強いと思うのだ。

しかしながら、その傾向は今日にはじまったことではない。前から起きていたことだ。例えば、ウーマンリブ運動を例にとってみよう。リブ運動では、北海道のメトロパリチェンや九州の箱崎女性史研究会などおもしろい運動が展開されていたが、いまやすっかり忘却されている。フェミニズムの歴史にウーマンリブが登場するのは、主に東京の「たたかう女」の田中美津さん中心の運動としてである。『美津と千鶴子のこんとんとんからり』1987年刊あたりが大きな影響を果たしていそうだ。本の紹介には、「日本のウーマン・リブとその運動を継承・発展させたフェミニズムを代表する二人、田中美津上野千鶴子の語り下ろし対談」なんて書かれている。87年刊の初版が2003年に増補新版となったようだ。これをみると、「美津」がリブの正典化され、「千鶴子」が女性学の「正典」とされる傾向はますます強まっていることの表れかもしれない。

リブ運動では、東京以外の運動は、どの研究でもほとんど取りあげられていない。とりあげられたと思ったら、間違って田中カリスマの「刺身のツマ」扱いになっているのが関の山だ。なんと細谷氏は、北海道のメトロパリチェンを「『メトロパリチェン』も田中(美津)の主張を受け取り、機関紙において主婦/娼婦の分断支配と抑圧の連続性にくりかえし言及した」と、「主婦と娼婦に女が分断されている」とう主張が田中美津の「便所からの解放」独自のものであったかのように書いている(細谷実「フェミニズムと娼婦の位置――聖母/娼婦の分断の批判に向けて」金井淑子・細谷実『身体のエシックス/ポリティックスー倫理学フェミニズムの交叉』ナカニシヤ出版、211ページ)。

しかし、メトロパリチェンは、70年4月20日藤大学にて「沖縄と娼婦」についての研究会を開いている。森崎和江が1965年に出した『第三の性』などを読んで影響を受けたもののようだ。田中美津よりもはるか以前に森崎は、ボーボワールの『第二の性』を意識した『第三の性』を著し、男の性欲をもとにした「性の二重基準」に近い地点まで探りあてている。例えば次の文章。

「病気で孤立している人。男達への不信から婚姻へ入れぬ者。性を売りつづけねばならなかった人たち。差別意識から混血を拒否された女。経済的理由によってまた身分意識によって、生理開眼を体験しつつなお生殖否定を生きねばならない人々。亭主から避妊手術をさせられた妻。貧困をささえるためにだけ生きてきた老婆たち。数限りない同性たち・・・。それら個々への契機がなんであれ、一様に、産んだ女・産むことを前提に生きる女の思い上がりへ憎悪の目を向け、不信を表明する。性を基点にして起こってくるこの意識の断層と、女たちにあるこの落差。」(森崎河出文庫版、128頁)

ここには主婦と娼婦の分断という発想が含まれている。むしろ、単純に主婦と娼婦の分断と言えない差別の断層に触れている。しかしながら、フェミニズム史では田中美津の「便所からの解放」をフェミニズムの性の政治学の「正典」としている。また、主流フェミニズムでリブといえば「田中美津」で代表されることが多くなってしまっている。それでは、東京中心ということだけではなく、カリスマリーダーの影響が強い運動体であったことをリブ一般の特徴とみなしてしまう恐れがある。その他にも、田中らのリブ運動の特徴は、就職して企業社会に入ることを拒否した運動であったこと、中央集権的東京のマスコミの影響を良くも悪くも活用した運動であったこと(大きな影響力を持てたことには東京のマスコミとの距離の近さがあった)などの独自の特徴があった。決してリブ運動の代表とみなしてはいけないと思う。

特に、先に挙げた北海道や九州のリブ運動は、目立ったリーダーのいないグループという点で共通している。同じくフェミニズム史から排除され江いる「行動する女たちの会」も後期はリーダーのいない会だったと思う(それについては山口さんに語ってもらえたらと思う)。カリスマづくり、カノンづくりなどの傾向をもつアカデミック・フェミニズムがリーダー主導型であることと、リーダーのいる運動だけを承認することの間には何か関係があるのだろうか。あるとすればどのようなことだろうか。

ちなみに、リブには関西にも東海にも中国地方にも運動はあった(詳しいことが知りたい方は、『資料日本ウーマン・リブ史1-3巻』や、大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)フォーラム横浜に詳細な生資料が整理されて保管されていますので参照して下さい(これらの保管や整理に尽力された方達の目立たない仕事、実質的な仕事をされた方たちには敬意を表したいと思います)。『資料日本ウーマン・リブ史1-3巻』では、時期としては1960年代から1982年までを収録しており、地域は北海道から九州まで網羅している。性の二重基準に関しての見解はそこかしこに見られる。また、大学や高校など学校を舞台とした運動もあれば、女子トイレがないこと、時間外手当が男より低いことなど職場の働き方を問題とした運動もあるなど幅広い。

限りあるリーダーだけでなく、幅広い運動の歴史こそ広く知られる必要があるのではないか。また、幅広い運動の歴史から学ぶことも多いのではなかろうか。