*ジェンダーについて再び
- 7月14日にミシガンの山口さんから以下のようなコメントをもらいました。
「「基本法」自体、やっぱり議論がないままに通ってしまったのも問題だったよなあと今更ながらに思います。とくに前文、「一方、少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟化等我が国の社会経済情勢の急速な変化に対応していく上で、男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現は、緊要な課題となっている。」ってのからいうと、「性差別」解消が本当の目的ではないのか、、?って感じがしちゃって。この基本法自体の甘さがあって、「ジェンダーフリー」あるいは「性差意識」のほうに議論が流れてしまう土壌を作る一要因になったという気がします。」
- 現在、性差別をめぐる議論が「ジェンダー・フリー」という性差意識をめぐる議論へとずらされているというわたしの危機意識を書いたことへのコメントでした。基本法自体議論もなく、その前文からして、少子高齢化対策として策定された感が強いというものです。確かに、基本法にはそういう面があります。それを元にもっと後ろに引っ張っていこうとする主張には、どうやって前にひっぱっていけるだろうか。
- 地元の高岡市で条例づくりに関わった時には、策定委員は「性差別」の解消にこだわっていました。「性差別」や「男女平等」というコトバを条文に入れること、それを具体的に改善していけるための施策を入れること・・・などです。どこまでそれが実際の状況を改善するものになったか、できるかは運用にもかかっているのですが、、。
- ジェンダーという語は、条例づくりでは保守派からの反発があるからということで入りませんでした。各地でもそういう流れが強いのかもしれません。その点から言うと、最近「ジェンダー」はアカデミアでのコトバとして定着しているのかもしれません。私のサイトに「ジェンダー」で検索してこられる方も大学からが多いようですし。
- 今後は、「性差別」と「ジェンダー」とのつながりをうまくつけていくことも求められているのかなと思ったりします。どうでしょうか。