寿岳章子さん亡くなる

昨日、早稲田大学和光大学も今学期が終わった。和光のはブログで紹介しているように、なんとかブログ開設から書き込み、コメント、トラックバックなどができるようになった。就活中の4年生も無事就職が決まったといううれしい報告があったし、五月病で欠席中の1年生も久しぶりに出席してくれたのはほっとした。最後に、お世話になったメディア準備室のとても麗しいお二方にお礼かたがたみんなのブログを紹介したら、わあ〜と喜んでくださったのでわたしもうれしくなった。
早稲田の方は、最後の日ということで大学中、人人人であふれかえってました。ことさら暑い日だったので余計にうだる感じ。というわけで、ということではないのですが(約束どおり)ゼミ授業は、カフェGOTOhttp://www.ne.jp/asahi/cafe/goto/Menu.htmでおいしいといううわさのチーズケーキともろもろタルト、チョコレートケーキなどをほおばりながらとなりました。Deborah Cameron のSpoken Discourseを読んでいるのですが、教育学部よりすぐり(笑)の4名さん、毎回しっかり読み込んで来てくれたので、4名じゃさぞかし毎回負担大変だったろうと慰労のなごみカフェなのでした(といいつつ授業もする・・)。後期は5名となる予定です。ケーキ、噂に違わずおいしかったです。ふふふ・・
帰ってきて夜みた新聞で、寿岳章子さんがなくなったことを知り、ショックでした。新聞記事は、『朝日新聞http://arch.asahi.com/obituaries/update/0714/001.html スポニチ http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20050714031.html です。
寿岳さんについては、『日本語と女』岩波新書が1979年の刊行。中村桃子さんが『フェミニズムと言語理論』の訳者解説で述べておられるように、寿岳さんはこのような早い時期から「女だからといってすべてに共通する性格など何もない」というように女性間の差異に着目し、京都の農村女性たちが「かなんことはかなんと言おう」と一番言いにくいことを一番言いにくい人に言おうという実践を行っていることを丁寧に紹介しておられるが、ほんとすばらしい方だ。中村さんは、スペンダーの意識高揚の会と同じ役割をしているとみておられるが、同感だ。
寿岳の議論が「主体的な変容」を考察するという意味でロビン・レイコフら欧米の言語とジェンダー研究の先をいく議論だということは、Japnese Language, Gender and Ideology http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0195166183/qid=1121476759/sr=10-/ref=sr_10_26_/250-9165566-7293812 で書かせてもらった論文で私が伝えたかった点だ(日本語とジェンダー研究についてのレビュー論文)
寿岳は、フェミニスト自身が性差別のない意味をつくり出すという意識をもって言語を使っていくというカメロンが主張する「急進的ディスコース」への着目を早くから行ったという点で目の確かさを感じる。ジェンダーという言葉がない時代からジェンダーに焦点をあて、その変容がいかなるものか、を一人黙々と考えていた人だと思う。あまりに先駆的だったから、すごいとはわかってもすごいということを論理的に言えないというようなところがあった。
寿岳の著作についての真価が下されるのはこれからという時なのに、ご本人が亡くなってしまわれたのは残念だ。失ったものの大きさを感じる。