「”うつ”はジェンダー問題」その2

嗚呼女子大生活の「女性の静かな抵抗ーうつを政治的に読み替える」http://d.hatena.ne.jp/chidarinn/20060725/p2を読んだ。うつを「女性の抵抗」とみなす見方にはっとさせられた。まず、うつを「政治的に読み替える」という主張に賛成である。さらに、うつを「一人一人の女性の抵抗」と読むことに加え、「ジェンダー起因の社会問題」と読み替え、政治の問題としていきたい。読んで、2つほど思うことがあった。


第1に、うつになる女性は、「主婦業への閉じこめ」だけではなく、「女性の働き方は、つまるところ二義的なもの。第一義的には、人の再生産労働である子育てやケア労働にある」といった社会への「抵抗」なのではないか。つまり、現在の女性たちが悩んでいるのはフリーダンが「名前のない問題」と名づけた状況とは多少異なるのではないか。専業主婦的な状況ではなく、選択肢が増えた中でも自分が真に求める条件で労働や再生産労働に従事することができないのではないか。選択肢が増えたといえども、子育てと稼ぎ労働(生産労働と再生産労働)がよいバランスを保っている働き口はいまだないということではないか。


第2に、うつの女性達の「抵抗」は、例えば離婚とか、家出とかを決行するといった思い切った環境の転換が出来ない(したくない)人達の、「消極的な抵抗」なのではないか。そうした消極的に「沈黙を破る」行為がうつなのではないか。


そう考えると、対策が必要だ。NHKが特集を組むくらい多数の女性がこうした抵抗をしているのであれば(たとえ消極的であれ)、社会が政治がそれを「ジェンダー起因の社会問題」ととらえる必要があるのではないだろうか。つまり、女性と社会の関係をうつという病を通して再考するということだ。「女性の働き方は、つまるところ二義的なもの。第一義的には、人の再生産労働である子育てやケア労働にある」というしくみは、人としての権利を全うすることを教育された、すなわち、自分らしい生き方を奨励された現代の女性たちにとって、もはや自分らしい生き方とは思えなくなっているのだ。早く言えば、主婦パート的な労働で満足できない。かといって男並みに働くことを選べば、子どもを持つことや、自分らしく生きることは無理っぽいと思えてしまう。子育てもやれて、自分にとって意味のあるキャリアも続行できる、生産労働と再生産労働の2つを無理なく両立できる人というのは、お母さんやお姉さんが自分の代わりに主婦労働を担ってくれているなどたまたまラッキーな一握りの女性のみであろう。この場合だって、他の女性を身代わりにしているという罪悪感にさいなまれてしまう(実際、「姉を搾取している」と自虐的に言っている女性を知っている・・)。あるいは家事代行業に途方もないお金を払える小指ほどのごく少数の女性だけか、、。


つまるところ、男並みに働ける人(男性の多くと一握りの女性)だけが一人前の正規労働者とみなされる日本の雇用状況が問題なのだ(外国人労働者はここから外れている)。この働き方をより柔軟なものに変える必要がある(言い古されたことだが)。やはりこれはパート、非正規雇用の賃金や評価を上げていくことからしか始まらないと思う。不安定労働に就いている若い日本人男性が新たな弱者として注目されているが(プレカリアートワーキングプアなどという言葉は構造的な問題から目をそらすことにしか働かないような気がするゾ)、そうした劣悪な条件で文句も言わず何十年働いてきた主婦パートも、こうしてうつという病気で「消極的な抵抗」をするようになっているのである。彼女たちも、生活は維持されているかもしれないが事実上破綻していたりして、決してハッピーとは言えないのだ。


主婦より若者がより深刻だなどと弱者を分断する方向に議論するのではなく、こうした弱者を生み出す今の社会のしくみをこそ衝く必要があるのではないか。「うつはジェンダー問題」という主張は、社会のしくみを是正していこうというメッセージでもあるのだ。