DVが許される場合、許されない場合

ドメスティック・バイオレンス(DV)を専門学校の授業で取りあげたところ、男子と女子ではまったく異なる反応が返ってきた。DVについて、男子は、「自分のストレスがうまく発散できずに家族にあたってしまうこともあるのではないかと思う」というのが一人あっただけ。他は、「テレビではよくやっているけど、自分ではDVをやってこともされた経験もないのでよくわからない。」「まわりでもDV経験をしたとかされたとかも聞いたことがないので、いまいち想像がつきません。」など。「(DVについて)ちょっと甘いのは、自分と同じでDVについてあまり関心がないのではないと思いました」といった「わからない」「関心ない」といった感想ばかり・・。


一方、女子からはびびっとした反応が返ってきた。「過去に夫から暴力を受けて離婚した友人がいる。」「元彼から暴力を受けていた」という体験を語る人があった。また、「許されるべきではないと思う。他人様に暴力をふるうと事件となるのだから夫婦とて相手は「人」。許されるはずがない。無視するというのも子どもじみている。」「なんで男の人はあんなエラソーなのかわからない」「わたしが一番イヤな暴力は、妻に「誰のおかげでお前は食べれるんだ」です。妻も掃除や食事、洗濯など行っているのに許せません」「やはり`男が上`のような感覚が今も少しは引き継がれているのか。女性にとって耐え難いことでも男性自身は許されるということが多い。認識の差がありすぎる」「女性の社会進出によって男女平等となったと思うが、深いところではまだ差別があり、DVにつながっているのでは?と思った」などなど。暴力を実際に受けた体験、暴力について見聞きした経験、暴力を受けることや受ける立場であることへの反発、それに暴力と性差別社会を反映した男の意識とのつながりについての思いを率直に述べた感想が目立った。あー、この落差をなんとかできるか。


話題にしたことの一つに、東京都「女性に対する暴力に関する調査」結果(1997年)で、心理的な暴力に対して「許される」という人の割合が高いということがあった。例を挙げると、「妻が何を言っても無視する」について、「場合によっては許される」とした人の割合が54.0%(男女平均。男性では61.4%)、「妻に『おれがいる時は、外出しないように』と言う」を「場合によっては許される」とした人の割合が37.7%(男女平均。男性では47.1%)、「妻に『誰のおかげでお前は食べられるんだ』と言う」について「場合によっては許される」とした人の割合が16.8%(男性では21.7%)というデータであった。DVがあまり認知されていない10年前とはいえ、この許容割合、ちょっと高すぎませんか? 最新のデータはどうなっているのだろうか?


ここであがっている「妻が何を言っても無視する」、「妻に『おれがいる時は、外出しないように』と言う」、「妻に『誰のおかげでお前は食べられるんだ』と言う」などの行為は、心理的暴力(DV)である。妻を無言の威圧や脅かしよって自分の思うとおりにしようとする行為だからだ。それにもかかわらず、少なくない人たち(男女とも)がそれを「場合によって許される」とみていることに驚かされる。「『場合によっては』とは、、DVを容認する言葉であり、そんな言葉が聞かれるようではDVはなくならないと思いました」という意見が指摘するように、DVをDVと認めていない人がこれほど多いと、これでDVが減るのだろうかと不安になる。


「場合によって・・・許される」とは何を意味するのか。まず考えられるのは、暴力行為を暴力行為と気づいていないということだろう。コメントにも、「昔、職場のヘルパーさんが痴呆老人の介護をしている時にみた虐待について、介護者は虐待をしている思いはなかったと聞いたことがある。」など暴力を振るっている人がそれを「暴力」だと気づいていないというものがあった。夫から妻へだと、目下の者に対する「しつけ」だとか「教育」だと思い上がっている人が多いのかもしれない。


「場合によって・・・許される」でもう一つ考えられるのは、冒頭で書いた男子学生のいうように「関心ないや」という反応の表れかもしれないってことだ。さらに、家族や夫婦の関係はいままでのままでいいのに調査とかいって、余計なことを聞いてくるなあ、うざいという反応もあるだろう。そんな人たちが「場合によっては許される」と書いたのかなあ。「なんか、いやなこと聞いてくるよなー」的反発もあるかもしれない。「女たちはなっとらん」と思っている人達の回答だって、「場合によっては許されない」となるのかな。妻たちには(女たちには)もっと「しつけ」や「教育」が必要、と思っている人達もここに入るのかもしれない、、などなどいろいろ考えてみた。


しかしながら、「女をしつけてやらなくては」とか思っている男たちは、現実の女たちから(男たちからも?)しっかり敬遠されていることだけは確かだった。「暴力サイテー」「暴力、許されない」「離婚する」「子どもが傷つく」「言葉の暴力はずっと心にくすぶっていて、根の深い傷になる」など。学生さんのコメントからそれがはっきりとわかったことが、DVをなくそうという立場としてはうれしいことだった。