国立女性教育会館の事業仕分けに見る、《箱モノ設置主義》に席巻されてきた男女共同参画政策の限界

 拙稿「国立女性教育会館(NWEC)の事業仕分けに見る、《箱モノ設置主義》に席巻されてきた男女共同参画政策の限界」という記事がシノドスジャーナル63号(11月1日発行)に掲載されました。

 昨年の今ごろ、国立女性教育会館(NWEC)事業仕分けで注目された同館を10月に訪ねた。あの仕分け結果は撤回され、今年度予算からほぼ全額(6億2000万のところを5億9000万円)が支出されていた。しかも、11月15日から2月末まで3ヶ月半も全館閉館して、大改修工事を行うというのだ。昨年の今ごろは、「大幅に削減すべき」という事業仕分けが出されていたが、その一方では大改修工事のために15億8900万もの特別予算が下りていた事実もあった(平成21年7月-23年3月。平成21事業年度財務諸表の資料を参照しました)。

 いったい、あの事業仕分けはなんだったんだ?!と思ったのが発端でした。

 それに平成21事業年度財務諸表をみると、女性教育ナショナルセンターであることを誇る同館の研修事業に、1億5700万円を超す業務委託費が別途支払われている。同館で行っている「リーダー研修」が看板だったのではなかったのか。それを外部委託で丸投げ同然では、何のための「国立・教育会館」かわからない。ただでさえ高額報酬が税金から支払われていることが問題にされていたのに、これでは同館の存在意義はどこにあろうかと思ってしまう。それに、あれだけ「女性教育ナショナルセンター」を誇りとしていたのに、その矜持を捨てたような現状の裏には何があったのか。
 
 そうした疑問から、「女性教育」の歴史をたどり、同館や男女共同参画センターがなぜどのように設置されたのかを探ってみたものです。
 
 以下は、シノドスサイトで公開されている部分からわたしの問題提起の部分を抜粋します。

今年も昨年同様、事業仕分けが始まった。昨年の今ごろ、テレビの報道番組で繰り返し流れた映像がある。それは、仕分けされる側の施設の女性館長が、「私の話も聞いてください」と声を荒げたシーンであった。声の主は、「国立女性教育会館NWEC)」(以後、NWECと略す)の神田道子理事長。仕分けする蓮舫議員との「女の対決が象徴的シーンとして流され、一般にあまり知られることのない「国立女性教育会館」の名前が一躍舞台に躍り出た。
事業仕分けの結果としてNWECは、文科省の「天下り」独立法人とみなされ、予算の大幅な削減を言い渡された。だがその後、女性学者・行政関係者らによる巻き返しの結果、予算額はほぼ全額復活した。この事実はマスメディアではほとんど報道されなかったため、知る人は少ないだろう。結局、NWEC事業仕分けの対象になった問題は何なのか、一般に広く問われることがないまま蓋が閉められてしまった。

NWECを筆頭とする豪華な施設が、税金によって全国に多数建てられてきたこと。これを「箱モノ行政」だとする批判は、男女共同参画フェミニズムへの疑問として、これまでもしばしばぶつけられてきた。しかしながら、それらは取るに足りないネット言説という扱いなのか、あるいは自省的な視点を欠くためか、フェミニズム内部では男女共同参画における「箱モノ」行政問題については批判的に考察されることなく、スルーされてきたように思う。

また、「箱」の中で行われている事業が、性差別の解消には直結しない意識啓発がメインであることについても問われないままだ。女性学者や男女共同参画運動家らの多くが、現在の男女共同参画政策路線に関与・推進してきた経緯もあってか、フェミニズム内部では表立った批判や根本的な問い直しは行われていない。そればかりか、女性学者や男女共同参画運動に関わっている人たちの間では、「女性教育会館の存続は必要」、「女性教育会館をなくすことは、男女共同参画を後退させること」という見方さえ共有されている。

NWECのあり方という問題は、単に官僚の天下り問題や税金の無駄遣いだけにとどまらず、女性/男女共同参画センターが行う事業の内容やその目的、センターでの行政職員と市民との関係など、幅広い点に波及している。緊縮財政下において、「成人教育」とは別個に「女性教育」が存在する意味をもつのか。伊藤にならって性、差別を克服・解決していくための学習や実践活動を生み出すものに限られるという議論もあるかもしれない。だがいずれにしろ、「女性教育」や「女性教育会館」のあり方について、税金の使われ方、男女共同参画政策との関わり、国と地方の関係を含め、根本的に議論していく必要がある。


シノドスのサイトでも、イントロ部分、◇国立女性教育会館NWEC)と箱モノ設置主義◇、を公開してくださっています。


この続きは、ぜひシノドスジャーナルのサイトでお読みいただけたらと思います。

フェミニズム内部からの声です。フェミニズムを官僚依存ではなく、足下の問題を解決に向けていけるようにしたい、という思いから書いています。わたし自身この領域に関わってきました。そのことを忘れているわけではありません。自らも男女共同参画推進の流れに乗った経験をもつゆえに、フェミニストの一人として、官僚と女性学者の協力体制を見直す動きをつくりたいと思っております。どうか、趣旨をご理解いただけますよう、まずはお読みいただけたらうれしく思います。どうぞよろしくお願いします。