【上へのチャレンジ:佐藤孝志元高岡市長の講義】

http://stepuptaka.exblog.jp/tb/2862400でも紹介されていますが、さる17日、佐藤孝志元高岡市長が「行政との協働を目指して」という講義をされたので参加し、一番前に陣取って話を聞いてきました。いくつか記憶に残ったことをあげてみます。特に、「権力」概念についての佐藤元市長の見解について興味を持ちました。
1)かつての行政学では、「国家(行政)は国民に対して公権力を持っていると観念されていた」(東大の田中某、小川某先生のお名前をあげられていました)が、日本国憲法前文ならびに1条で規定している国民主権の考え方をとれば、「行政は『権力』を行使するのではなく、法律・条例によって付与されている『権限』を行使するという考えになる」という見解をとっておられました。
2)「官民差別感」と「官職私有観」の払拭を主張されていたこと。「官民差別観」は、公務員が民間人より偉いとか、公務員の中でも上位の役職についているものが部下より偉いという意識や行動のことであり、国と地方自治体との関係でも同様の感覚があると指摘されていました。「官職私有観」は、「公務員が自己に与えられた公的な権限を、あたかも自分の一身に属する私的な権限であると同視する意識・行動の形態をいう」とされ、「公務員は常に公平無私の態度で仕事をすることが望まれる」と指摘されていました。「行政とは何か」から「行政との市民の関係」を述べるのに、このような権力観、差別感から論じられたことが興味深いと思いました。(当然のことといえばそうなのですが、、市長を12年されて退職された方の発言としてはやはり尊いと思ったのでした。
3)「市民参加の大事さ」という項では、ギリシャフリークの佐藤氏は、古代ギリシャ直接民主制からひもといて話されましたが、その中で「市民会議方式における協働」の事例として、「女性プラン(男女平等推進プラン)案・男女平等推進条例案」を、「ワークショップ方式による協働」事例としても「男女平等推進プラン案・条例案」をあげられていたことです。1992年から(1991年だったかも)の女性プラン案の策定過程は、市長が他にも行財政改革案や総合計画案、家庭系ゴミの有料制化案など列記されていた「市民参加の事例」の中でも、ひときわ他から逸脱した(抜きんでた)ユニークさだったと思われるものでした。それを市長ご自身の口から「協働」事例として語っていただけたことは、歴史を振り返るという点でも重要な一頁だったと思います。貴重なお話を聞けてよかったと思うとともに、苦労しつつも双方民主主義の貴重な一歩を歩んだという手応えを感じた高岡市女性プラン策定過程、ならびに高岡市男女平等推進条例策定過程の市民参加のプロセスは、かかわった一人としていつか記録に留めておきたいと改めて思いました。