フェミニズムの衰退

昨日、高岡女性の会連絡会の新年拡大委員会に出席してきた。1989(平成元)年に、26団体が加入して設立された団体である。連絡会という名称であるが、一般によくあるような行政が主導して作った連絡会組織とは異なり、自主的に作られた団体ということだ。設立された1989年は土井たか子さんが「山が動いた」と言われた年である。女性が元気で社会的にも発言権が拡大していたうねりにも後押しされたのでもあったろう。ともあれ、この団体は、「高岡の女性は元気だね」と対外的に言われるように、男女共同参画業界では行政と組んでプレゼンスの高い活動をしてきたのであった。


今年、20周年を迎えることになるというこの団体の歴史を年表でみせてもらった。高岡市議会、富山県議会に自分たちの代表の女性を議員として送り出す一方、高岡市に女性専管課や男女平等推進センターをを作らせ、「女性行動計画」策定、男女平等推進条例の制定を促すなどの「成果」を育んできたことが如実に知れた。高岡の市民の男女平等社会実現に向けた動きは、高岡女性の会連絡会作成「男女平等社会に向けた動きとその背景〜 高岡市男女平等推進センターができるまで〜」を参照ください。


この日の話し合いの趣旨は、「20周年をむかえるにあたって活動のふりかえりと、今後の活動について」どういった方向に舵を切るのか、ということであった。呼びかけ文には、次のようにある。

当会は20周年を迎えます。この間、法整備もされ、求め続けた女性センターも開設4周年を迎えます。また新たに市では「市民と行政の協働のルール」が作成され、「女性とまちづくり地域会議」で提言を続けてきた、市民参加のまちづくりも次の局面を迎えています。

一方、女性の政策・方針決定過程への真の進出は遅々として進んでおらず、新たな社会門だ(貧困・DVなど)が、若年層も含めて深刻な状況となっております。

今までの活動を振り返り、より説得力のある活動にしていくための大きな節目でもあると考えています。


現在の社会状況を踏まえて、さあどうするという問題意識が表明された呼びかけ文であった。しかし、貧困社会の問題や地域格差の問題を頭ではわかっていても実際に行動することではフットワークがはかばかしくないのであれば、前のエントリーでbrother-t さんがコメント欄で書かれていることにも幾分真実が含まれているのかなということも思った。brother-tさんは、「フェミニズムが保守の1ジャンルになり、既得権を守る運動になってきている」ということ、またそうした「既得権を守ろうと頑張っても下の世代からはそっぽを向かれるだけ」とおっしゃっておられる。実際、自分を含めてこれまでの活動は、以前、「「女」の視点・「女性」の参画とは?」エントリーのコメント欄で書いたように、「中流階級健常者(純)異性愛者(既婚・子持ち)女性だけ」(appuappu さんが指摘されるようにそれに専業主婦が加わるのが妥当かもしれない)を指しており、女女格差や世代、階層格差に鈍感であったのだと思う。

それが問題になっている現在、どう新しい取り組みを作り出せるかがかぎになっている。しかしながら、男女共同参画を掲げてやってきた活動や事業が「バックラッシュ」ということで後退に後退を重ねた結果、ワークライフバランスの啓発か、男も料理講座、女性の再チャレンジ支援、それにDV支援・啓発事業というくらいに狭められなってしまっている。しかもほとんどは行政や行政の財政によって行われている事業である。行政との連携が長く続いた結果、フェミニズムが主体的に率先して取り組んでいる活動は乏しいのではないか。


きのうも情報交換の必要性やまちづくりの取り組み、地域での介護問題などが提起された。しかし、女性たちが自主的に取り組み、新たな事業モデルや取り組みを展開するところへまではいけなかった。これは高岡だけの問題ではあるまい。全国的なフェミニズムの課題だろうと思われる。


うーん、フェミニズム福井県(ユーアイふくい)や豊中市(とよなかすてっぷ)で「行政が後退しないように」といういわば、行政にカツを入れる運動を闘っておられる。しかし、肝心のフェミニズム運動本体のほうが、新たな活動方向や実践的取り組みを提示できないでおり、曲がり角であることをまざまざと実感した。フェミニズム男女共同参画を行政と組んでやってきたことにも衰退の原因はあると思う。フェミニズム衰退の根はいささか深いところにあるのではないか。