奥野達夫さんのこと

 少し日がたったが、奥野達夫さんが亡くなられたということをテレビのニュースで知って、びっくりした。

 奥野さんは、南砺市立福光美術館の館長であり、もろもろ社会に貢献されてきた方だ。南砺市のお生まれで、私が生まれたところのほんの対岸の地のご出身だとご本人から聞いて、どこか近しさを感じるところがあった。


 拙ブログの福光と棟方志功でも書いた愛染苑は、福光美術館の分館であるが、福光美術館であれ、愛染苑であれ、土地に根付いた、格好つけない風情が愛すべきものと映っていた。


 『万華鏡』という写真で綴るユニークな雑誌が富山にあるが、その発行にも関わっておられた。その「古志の人の書斎」(105号、2000年)という特集の際に、「聞き書き万華鏡」というコーナーで私の書斎(書斎というのもおこがましい風情のものだが、、)について、本田恭子さんが取材して聞き書きをしてくださったことがあった。ご縁のない雑誌からの取材に不思議に思ったが、それも当時、ほとんど面識のなかった奥野さんのご紹介だったと聞いた。


 近年は、魚津の米蔵の会を支える活動もなさっておられた。米騒動について考えはじめた初期に書いたブログ記事に、奥野さんと思われる方がコメント欄に書き込みをしてくださっただろうことも忘れがたい思い出である。


 こう見てくると、奥野さんは、富山の文化的な活動を、根っこの部分で地味にも支えて来られた方だと思う。奥野さんとは、考えが異なることはあったが、恐らく思いの強さから来ることであり、いつかゆっくりと語る機会が来れば、おもしろい話ができそうという気もしていた。

 だから、なくなられたというニュースに触れ、もうそういう機会は来ないのか、とちょっとがっくりした。言葉でお伝えする機会を逸してしまったことを残念に思うとともに、冥福をお祈りしたい。